「オーボンヴュータンはお菓子屋としては最初に働いたところなので、一番最初の基礎を作ったところだと今でも思っている。もちろんオーボンヴュータンはその後もずっと存在し続けているので、今の自分と今のオーボンヴュータンというのは、常に心の中では意識をしていますね」
「当時はキュイジニエ(※1)としてやろうと思っていて、お菓子やろうという気はなかったんだよね。偶然な事から、オーボンヴュータンがオープンする時に行ったんだけれども、河田さんとそこで会って。もし他のお菓子屋さんに行っていたら、きっと途中でお菓子をやめて、また料理の世界に戻ってたと思うんだけど、河田さんと永井さん(※2)、二人のフランス菓子というものに対しての考え方が、当時の日本のお菓子屋さんとはかなり変わっていて。『フランス菓子をするんだったら、フランスの食文化の事をするんだから、もちろん料理の事を知っていないといけないし、フランスの事すべてをわかってないといけない』というような雰囲気があったので、料理人だった僕もすんなり仕事に入れたし、日本のお菓子の持っているふわふわしたイメージ、メルヘンチックなイメージとは違うところでお菓子というものに触れたんで、あれがオーボンヴュータンで本当によかったんだな、というのは今でもすごく思ってる」
「仕事はそんなに厳しいとは思わなかった。その前のレストランでは、体力的にも、色々な人間関係の点でも厳しかったので、オーボンヴュータンに行って肉体的にしんどかったというのは特に記憶にないし、河田さんが特別厳しかったともそんなには思わなかった」
「僕がいたのは20歳から22歳までです。その後フランスに行ってしまったので。
当時の日本では、フランス菓子といってもフランス菓子になってなかったところがたくさんあったと思うし、日本にいてフランス菓子というものを理解するのはやはり難しい、という感じがあって、日本でやるよりも、早くフランスに行ってやってしまわないとフランス菓子というものを理解できない、というのがあって。だから河田さんのところの次にどこかで働く、というようなイメージは持てなくて、それよりも早くフランスに行き、フランスの食文化というものに触れて、フランス菓子というものがどういうものなのかというのを自分で早く体験したい、というのが、その当時自分が一番思っていた事だと思うんです」
「だから、自分で『行きたい〜っ』『もうフランスに行く!』と言って。その時はキュイジニエから菓子屋になって、まだ2年なるかならないかだったので、河田さんからは『まだちょっと早いんじゃないか、もう少し仕事ができるようになってからでもいいんじゃないか』と言われたんだけど、僕の気持ちが『フランス行く〜』となってしまったら、それしか考えられなくて、そのまま押し切って行ってしまいました」 |