「当時はバブルが始まる頃で、作れば売れるという時代だったんですよ。自分がやっていた仕事といえば、2年くらい毎日毎日カスタードクリームを炊いていました。もっといろんなことやりたいな、という気持ちもあったんですが、ただ先輩に言われるがままに、来る日も来る日も朝から晩までカスタードクリームを炊いていたというのが最初のお店の思い出です。自慢じゃないですけど東京ドーム一杯分くらいはその時炊いたと思います(笑)。その後もパイとか基本的なことを、パイも今では珍しいと思うんですが、当時はめん棒を使って折っていまして、そういう仕事を来る日も来る日もやっていました」
「住み込みで働いていたので、仕事が終わったあとよく飲みに行きました。当時一緒に働いていた先輩と、夜な夜なお酒を飲みながら『やっぱ人生目標持たないといけないな』と、そんな話をしていて、当時、目標を自分なりに3つ立てたんです。まずは、やはりフランス菓子をやっているのでヨーロッパに行ってみたいなという思いがあって、それを最初の目標にしました。2つ目は、当時テレビでやっていたトライアスロンの番組に感銘を受け、ハワイのアイアンマンレースに出てみたいな、と。3つ目は、葉山の工場にいた時に感じた、海の近くに家を建ててお風呂場から海を見ながらビール飲みたいなと、そんな3つの目標を立てました」
「フランス茶屋に5年近くお世話になり、そろそろ次の店に移ろうかと考えた時、ヨーロッパに行きたいという気持ちがあったので、ヨーロッパ経験のある人がシェフをやっていたり、そういう窓口のあるお店に行きたいと思いました。いくつか探してみたところ、非常に良いお店があって、面接にも行って明日からでもいいよという話をいただいたんですが、その時にふと『このままやってても将来が心配だな』とか、『菓子屋続けててもしょうがないかな』というようなことが頭をよぎって、そこで一回ケーキ屋をやめてしまったんです。それで、建築関係の会社に少しお世話になったんですが、ネクタイ締めたりというのが、どうも性に合わないと言いますか、うまく締められないと言いますか・・・。あとはせっかく5年近くやっていた仕事を急にやめてしまうのももったいない、と思い直して、当時お世話になっていたシェフに相談したところ、『友達が銀座の和光でシェフをやっているから、ちょっと話でも聞きに行けば』ということになりました。和光は当時片山シェフがやっていたのですが、私を採用していただきまして、ルショワというお店で働くことになりました。その後シェフは武江シェフ(※)に変わり、引き続き面倒を見ていただきました。ルショワでは海外の情報もあり、運良くヨーロッパに行くチャンスをいただくことができました」
※武江シェフ・・・現サロン・ドゥ・シェフ・タケエ
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