「ヨーロッパにいた時に『そろそろ日本帰りたいんですけれども』なんて話していたら、ルショワの武江シェフのほうから、『うちで人募集してるけどどう?』と話がありまして、帰国後はルショワに出戻りでお世話になることになりました。武江シェフの下、二番でやっていたんですが、やはり帰ってきていろいろとやりたいことを表現したかった部分もあって、生意気だったというか、武江シェフにはいろいろご迷惑かけてしまったかなとは思っています。それでも自分なりのお菓子というのをいろいろ表現していきました」
「その当時和光の仕事をしながら、ぜひチャレンジしてみたいことがひとつありました。それはクープ・ド・モンドというコンクールなんですが、私の父方の祖父が、昔、木の一刀彫の彫刻家だったので、子供心に将来の夢は『彫刻家になりたい』と思っていました。クープ・ド・モンドには氷細工の部門があって、そこにチャレンジして何か表現できれば、小さい頃の夢がちょっとだけでもかなうんじゃないかなと。クープ・ド・モンドの予選を通過し、本戦に出られるということになった時に、自分はぜひ氷細工をやりたい、ということを協会のほうに申し入れ、やらせていただくことになりました。それが決まってからは笹塚にある清水氷彫というところに毎週氷細工の練習に通いました。氷1本通常1万5千円くらいするんですが、安くしてもらって1万円、本戦ではそれを2本使うので毎週2万円、250kgぐらいの氷を買って練習しました」
「本番はそんなに固くならずに気楽にやりましょう、という話だったんですが、前日に急にお腹が痛くなってきて、何も食べられずに、ずーっとトイレに行きっぱなしで、『明日やばいな、大丈夫かな』と、そればかり考えていたんですよね。当日の朝になってもまだすごく痛くて、正露丸の大きい瓶を1本持っていってたんですが、それを全部飲んでしまうくらいの状態で。今から思えばあれは緊張から来たんだと思うんですが、精神的に弱かったもので」
「ちょっと心配だったんで、恥ずかしい話ですが、当日はパンツをポケットに入れて参加しました。もしお腹が痛くなっても、トイレに行っている暇もないだろうなと思いまして。そんな気持ちで向かったんですが、いざ始まってみるとそんなことは忘れて、気がついたら喉が乾いて、大きなペットボトルをゴクゴク飲んでいる状態でした。五十嵐君、山本さん(※)と3人で、一生懸命やりました。
自分は氷細工で鳳凰を掘りました。土台の上に胴体を作り、最後の組み立てでその上に首と羽根を2本のせようとしたんですが、会場が暑いせいもあって羽根がなかなか付かなくて。やっと1本が付いて、よし付いたなと2本目を付けている時、1本目の羽根がぷわーっと倒れてきたんです。『やばい、このまま倒れちゃったらどうしよう』と思った瞬間、なんかふと、背中の方から誰かが支えていてくれたような気がしたんです。あれはおじいちゃんだったのかな、と僕は思っているんですが、そのおかげで倒れてきた羽根を首で支えることができ、もう一度落ち着いて付け直して、きちんと形にすることができました。他の2人と共に会場からも拍手をいただいて、無事にコンクールは終了しました」
「結果は団体戦で4位だったんですよ。1位がフランス、2位がベルギー、3位がアメリカで日本が4位。もちろんもっと上に行きたかったんですけど。隣のブースがフランスチームだったんですが、隣で見ていて思ったのは、やはり作業や整理整頓といったことがきちんとしていて、さすがフランスだなと感心しました。個人的には氷細工でグランプリをいただきまして、ほっとしたなと。この時のトロフィーはお店に飾ってあります。実は、飾っていたとき、ひょんなことで倒れてしまい、上に乗っている玉の部分が折れてしまったんですが、今それはボンドで付けて飾ってあります」
※五十嵐君、山本さん・・・五十嵐宏氏(六本木ヒルズクラブ)、山本光二氏(パティスリープラネッツ)
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