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「いよいよパリに出てきました。パリでは気に入っている店が2軒ありまして、ダメモトでまずその2件に当たってみたところ、2件ともOKいただきまして、どちらにしようかすごい迷ったのですが、結局Stohrer、日本ではストレールというんですが、2区にあるパリで一番古いお店ですね、このお店で働くことになりました。こちらもほんといいスタッフに恵まれて、楽しく仕事させてもらいました」
「パリ時代には、コンクールというのが僕の中で大きなウエイトを占めていました。実は当時コンクールには批判的で、たとえば“クープ・ド・フランス"というコンクールがあります。クープ・ド・フランス・ラ・パティスリーというんですが、このコンクールは、当時試食がなかったんです。どういうことかというと、見た目だけで順位が決まるんですね。元々お菓子というのは当然味が一番大事なわけで、それにデコレーションというのがついてるんですね。そのデコレーションがどんどんエスカレートしていき、終いにはデコレーションだけのコンクールになってしまった。デコレーションのコンクールという名前なら問題ないんですが、“クープ・ド・フランス・ラ・パティスリー"=『お菓子屋さんのフランスカップ』という名前で、それなのに食べるのがないのはちょっとおかしいんじゃないか、という意見を持っていました。でも、コンクールやらなくてそんなことばかり言っていると、じゃあ結局できないんじゃないか、と。やはり、やってみないとわからないですし、やれば出来るというのと、実際にやったことがあるというのはほんとに大きな差があると思います。それで一度トライしてみよう、批判的ではあっても、やってみて、なおかつきちんと言うことは言うべきだなと思って、コンクールに参加しました」
「ところが一番最初のコンクール、それが先ほど言ったクープ・ド・フランスなんですが、やはり大敗しましてね。そのときに本当に悔しい思いをして、『これは何とか勝てるまでがんばろう』という気になりまして、それからパリにいる間はコンクールにのめり込んでいきました。もちろん普段の仕事はきちんとやって、それが終わった後で、職場や家でコンクールの準備をやっていくわけです。最初に言った疑問というのは、全面的に解消されたわけではないですけれど、やはりそういったひとつのことを、例えば飴細工にしても、つきつめてとことんやっていくというのは、精神力も大事ですし、いろんな勉強をします。人によっていろいろなんですが、ひとつのコンクール出るために、苦しい時に、パリの街をひたすら歩いてショーケースを見て勉強する人もいますし、僕なんかはよく建物を見たり、図書館に行って建物の本を見たりしたんですが、そういった普段使わない頭の中の一部を使うということがコンクールにはあると思います。やはり一番苦労した人が一番いい成績を収めるんじゃないかなと思うんですよ。そういったものにチャレンジできたことは、本当にパリ時代のいい思い出になりました」
「ストレールは、当時リオネル・ゴウバンという方がシェフだったんですが、本当に僕の父親みたいな感じで、温かい目でそのコンクールを応援してくれましたし、周りのスタッフも全面的にバックアップしてくれました。ヨーロッパで楽しくやってこれたのは、そういった方に出会って助けてもらったというのが一番の原因だと思います」 |
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