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Life@Chef
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Life@Chefでは、第一線で活躍中のシェフたちにケーキピアが突撃インタビュー。仕事のこと、遊びのこと、ケーキに対する思い・・・何でも聞いてきます。
インタビューの模様は動画でも公開。シェフの素顔にふれて、いつものお店のあのケーキがもっとおいしくなるコーナーです。
安食 雄二シェフインタビュー
安食 雄二シェフインタビュー
安食 雄二シェフインタビュー 安食 雄二シェフインタビュー
あじき ゆうじ

1967年埼玉県生まれ
「ら・利す帆ん」「鴫立亭」を経て、「横浜ロイヤルパークホテル」オープニングスタッフを務める。その後「ビゴの店」やフランス各地での研修を経験。1998年「モンサンクレール」オープンに際しスーシェフに就任、2001年パティスリーデフェールのオープニング時よりシェフを務める。

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回線のはやい方 回線のおそい方
●ムービー.01 ●ムービー.01
●ムービー.02 ●ムービー.02
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趣味は?

「趣味はサーフィンですね。サーフィンは高校の時からずーっと、狂ったようにやってました。お気に入りは八丈島。八丈島までひとりで行って、現地で知り合ったサーファーと一緒にサーフィンをやって、ということもありました。あとは湘南、千葉、茨城、福島、どこでも行きますよ。デフェールが始まってからは全然行ってないですが、そのうち余裕ができたらまた行きたいと思ってます。サーフィンは人生を狂わせるくらい面白いですよ」
「中学校の時は、原宿のホコ天で踊ってました(笑)。ロックンローラーで、頭をリーゼントにして、毎週のように原宿に通って。中学校2年くらいの時かな。その頃は本気で『俺は40、50になっても絶対リーゼントでいる!』って思ってましたね」
「高校入ったら髪の毛を全部おろして、今度はサーファー。海のない埼玉でサーファーですからね(笑)。西武新宿線に乗って、新宿で小田急線に乗り換えて、毎週のように海に通って。3年になったらサーフショップに通い始めて、当時26とか7くらいの、結構年上の先輩に海に連れて行ってもらってました。免許なかったんで、助手席が僕の指定席で、千葉とか茨城とか毎週のように行ってましたね。その先輩というのが、みんな暴走族上がりみたいな先輩達で、すごく面倒見は良かったんですけどもね。助手席に座ってると、『安食〜、歌うたえ〜』とかね(笑)。海行ったら、『裸でサーフボード持って一周してこい』とか。ビーチでですよ(笑)。変なことやらされましたけど、すごい楽しかったですね。でも海に入ると、そういう先輩達もすごい真剣で。すごくレベルの高い人達で、高校の時、埼玉二区というところで全日本の強化メンバーとして本格的にやろうというので、そのメンバーに入れてもらって、ほんと真剣にやってましたよ。専門学校時代もサーフィンはやってたんですけど、実際に就職するということになると、大会なんかには参加できないので、全日本の方はあきらめましたけど」

「スポーツは小さい時からいろいろやってました。幼稚園から小学校6年間は剣道をやりましたけど、剣道はいやでしたね〜(笑)。幼稚園の時親父に連れて行かれて、気づいた時には竹刀を握って、防具を付けていた。その時の剣道の先生というのが警察官で、すっごい厳しかったんです。先生はすごい大きい人で、僕は小さい体で、かかり稽古なんかになると、何回も突き飛ばされて。泣きますよね当然。でも泣けば泣くほど厳しくなりましたね。その時に、“泣けば何とかなる"とか、“泣けば済む"とかいう考えはなくなりましたね。すごい厳しくていやだったんですけど、親父もやめさせてくれないし。剣道で結構忍耐力が付きました」
「その反動で中学校行ったらテニス部ですよ(笑)。でもそのテニスが結構楽しくて、キャプテンまでやって、市では結構いいところまで行ったんですけど。ユニフォームの短パンにには、黒い刺繍で“絶好調"って(笑)。ラケットも、軟式のラケットで“ニューナンバーワン"っていうのがあったんですが、かわいいデザインで、ちょっと自分っぽくなかったんで、メタリックの紫とピンクで塗装してね(笑)、グリップのところも地味だったんで、赤い革のグリップを巻いて。族車のようなラケットで、頭リーゼント。かっこわるいですよね。でもその時はかっこいいと思ってたんですよ。
テニスは最終的に、どうも自分にはちょっと合わないなと。テニスというのはネット越しに、なるべく相手が取れないところに球を打つんですよね、ぶつけるんじゃなくて(笑)。ぶつけ合うんだったらちょっと楽しいのかもしれないけど、相手の取れないところに落として、取れなかったりすると『ラッキー!』とか言ったりして(笑)。なんかこう、自分向きじゃないな、高校行ったら、絶対ラグビーに入って、ぶつかりあいたいなと」
「受験した高校にはラグビー部がなくて、アメリカンフットボールしかなかったんで、じゃあアメフトに入ろうと。中学校の時は全然勉強していなかったんで、高校も入れるかどうかわからなかったんですが、面接の時、面接官の先生に、『君は部活入るの?』『アメリカンフットボールに入ります』と。そうしたらその面接官の先生がニヤっと笑って、(手元で)マル、かなんかつけて。アメフトの監督だったんですね、それで高校入れたみたいです(笑)。高校ではアメリカンフットボールに熱中しました。休みの日はサーフィンやって、学校ではほとんど、1時間目から4時間目から通しで寝ちゃってたような感じですね」

パティシエになったきっかけは?
「小学校の頃からお菓子作りとか、料理を作ったりするのが大好きで。とはいってもたいしたものじゃなく、ホットケーキとかプリンとか、そんなもんなんですが、基本的にものを作るのがすごい好きだったんです。小学校3、4年生ぐらいの時には、もう“食の道に進む"と自分の中では決めていましたね。中学校、高校に行ってもその気持ちは変わらず、当然のように調理師学校に進みました。調理師学校では和・洋・中・製菓と、免許取るために一通り勉強するんですが、製菓の授業の一番最初が、シュークリームだったんです。実習でシュークリームを作って、できたてのシュークリームを食べた時に、『もうこれしかない』と。この世にこんなにうまいものがあったのかって思いましたね。埼玉の田舎で育ったんで、お菓子なんてせいぜい駅前のちっちゃなケーキ屋さんで買ってきてくれるくらいのもんで、できたてのシュークリームを食べた経験なんてなかったんですよ。その時の、できたてのシューの香ばしさとか、きちんとした配合で作られたカスタードクリームのコクというか、できたての口どけというか、香りみたいなもの、全然違いますよね。もうすぐに『この道に行こう』と決めちゃいました」
「当時、調理師学校にくる求人といえば、大手メーカーの工場ぐらいしかなかったんです。そういうところには行きたくなかったんですが、その頃はお菓子屋さんのガイドブックみたいなのもないし、有名店の情報なんてなかったんです。それで、自分で電車に乗っていろんな駅で降りて、ぐるぐるお菓子屋さんを探して歩いて回ったんですけど、町を歩いたってそんなにケーキ屋さんに当たる確率も少ないし。最後に先生に頼んで洋菓子協会を紹介してもらったところ、練馬の“ら・利す帆ん"というお菓子屋さんを教えられて、『内緒にしといてあげるから見るだけ見て来な』と。見に行ったらそこのチーフが待ってて、そのまま面接になっちゃって。その店を初めて見た時は『うわー、すごいな』って。すごいきれいなお店だったんですよ。今まで僕が見てきたものとは全然違うお菓子がきれいに並んでいて。僕もそのまま『じゃあお願いします』と、そこで就職が決まっちゃった。
練馬の大泉学園というところで、通える範囲だったんですけど、寮があったんで、あえて寮生活を希望して。卒業と同時に住み込みで入りました」

FOOD & BAR MARDIGRAS取材協力:
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