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HOME(トップページ) > Life@Chef(安食 雄二シェフ) > ら・利す帆ん時代
Life@Chef
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GAUDI(ガウディ)
Delice(デリス)
安食シェフのお菓子、GAUDI(ガウディ、上)とDelice(デリス、下)。ガウディはイタリア好きのシェフこだわりの一品。

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ら・利す帆ん時代

「初めてら・利す帆んの厨房に入って、『4月からお世話になります安食です。よろしくお願いします』と挨拶した時、ちょうどオーブンの前で、背の高い、黒縁のメガネかけた先輩が立ってて、『わ〜大きい人がいるんだな』と。それが辻口さん(※)でした。ひとつ上の先輩で、寮も一緒で。寮と言っても厨房の二階の、包材と材料置き場の奥の、24時間日が当たらないような部屋なんですが、そこに二段ベッドが3列くらい並んでて、洗濯物が七夕の短冊みたいにぶら下がっていて。それをかき分けて部屋に入ると、僕のベッドが向かって一番左側の上、隣が辻口さんで、その下に神田広達(※)。(彼が入ったのは)僕がもうやめる間際ですけどね。朝目を覚ましてから夜目を閉じるまでずっと生活を共にしていて、朝昼晩三食、作業テーブルでまかないの食事を食べていました。その時の思い出は色々ありますね」

「お店は夜10時までやっていて、仕事はだいたい8時くらいには終わるんです。当番で店番をしてレジを締めて、最後片付けまでやって。朝6時から夜10時まで、ほとんど自由な時間はなかったんですね。行くところもないんで、ほとんど毎日デコレーションを作ったり。銭湯行って帰ってきたら、同期の子が厨房でパイピング(※)の練習なんかをやってると、居ても立ってもいられなくなって、隣で僕も始めたりして。スポンジをバタークリームでサンドして、チョコレートできれいにコーティングして、マジパン細工を乗っけたり、バタークリームを絞ったりして、それを次の日お店に並べて、販売してくれてたんですね。で、『誰のが一番最初に売れるか』って競争していて」
「そこのチーフはすごくコンクールに力を入れてくれてて、僕なんかも気付いたらコンクールに夢中になっていました。一番最初に出たのは19才の時で、それからも毎年出し続けて、最初から一応賞は取ってたんです。コンクールは、普段の仕事ではなかなかできない、自分の自己表現というか、楽しくてしょうがなかったです」

「就職するとなかなか学生の時のようにはいかないですよね。僕もやっぱり専門学校の時から付き合ってた子と会えなくなって。お互い寮生活で、『電話は何時まで』『門限が何時』とかあって、休みもなかなか合わなかったりして、就職して半年くらいで別れちゃいましたね。僕は学生の時は遊び歩いていてほとんど家にいないような感じで、友達もすごいたくさんいたんですよ。就職したばっかりの時は毎日のようにお店に電話がかかってきてました。『安食、飲み行こうよ』『仕事何時に終わるの?』『いつ休みなの?』って。でも、『ああ、ちょっと休めない』『終わってももう出られない』・・・断り続けているうちに電話もかかってこなくなるし、彼女とも別れるし。わがまま放題、脳天気に生きてた人間が、一度社会に出るとやっぱり、それでは通用しなくなって」

「どこの世界でも同じだと思うんですが、特に厨房というのはその人の人間性とか、考え方というのが、ストレートに出る場所なんですね。厨房に一度入ると誰でも丸裸になっちゃうんです。どんなに普段友達の前では、自分のいいところだけを見せて接していられても、一度厨房に入るとその人の、例えばずるいところ、怠けているところ、そういうのが全部出ちゃうんですね。そういった意味では自分もずいぶんつらい思いをしました。自分の今までのいい加減さというか、そういうものに直面して、最初の2年くらいは精神的には相当つらい思いをしましたね」

「当時は毎日日記を付けていました。僕、日記付けるようなタイプじゃないし、付けたことないんですよ。でもその時は本当に苦しくて、毎日自問自答をしていて。『今日こんなことがあった』『どうしてうまくいかないんだろう』とか、それは先輩だったり後輩だったり、自分の境遇全てに対してですよね。その時は本気で頭丸めてお寺に入ろうかと思いましたよ、滝に打たれようかと思って。それでもその時、そこでひん曲がらずに、自分に責任があるからそれを直したい、と素直にそう思えた自分があったというのは良かったのかな」
「なかなか相談する人もいなくて、ひとりで悩んでいたんですけど、銭湯に通う道に八百屋さんがあって、いつもそこの親父に愚痴言ったり、色々話を聞いてもらってたんですね。ある日僕が『俺頭丸めてお寺でも入ろうかな』って話をしたら、『明日、朝早く来い』と。何かなと思ったんですが、その時は本当に寺に入ろうと思ってたくらいなので、『まあいいや、行ってみよう』と、朝5時に起きて、親父の言うところに行ったら、お寺だったんです。お寺で朝、宗教じゃないんですが、勉強会みたいのをやっていて、“万人幸福の栞"という、昔の苦労した人の教えみたいなもので、その中に16カ条あったんですね。その中のひとつ、今でも大切にしている教えがあって、それは、『苦難は幸福の門』。苦労や苦しみが大きければ大きいほど、幸福につながる道は大きくなる、門は開かれるということなんですが、そういったことが書かれていて。今まで自分が悩み苦しんでいたり、疑問に思っていたことの答えが、全部そこに載っていたんです。それで面白くなって、仕事は6時から始まるんですが、5時前に起きてその集まりに行って、そこでいろんな人に出会うんです。生まれつき足が不自由で、中学生まで車椅子生活をしていた女性の方がいて、父親はその姿を見ていなくなってしまい、母親と二人で生活していたんですが、中学校の時に突然母親が『歩けるようにがんばろう』って。そこから実際歩けるようになったとか、そういう人たちが集まっていて、色々と力づけられたりしました」

「ら・利す帆ん時代に、自分の生きていく道はこうだなと、精神的な部分で確立できましたね。何の仕事でもそうだと思うんですよ。スポーツ選手でも、物を作る仕事でも、どんなにいい素質や感性を持っていたとしても、まず精神的な部分で強くならないとそれを活かせないんです。そういうメンタルな部分で、自分の持っているものを発揮できないで終わってしまう人がすごく多いんですよね。ら・利す帆んでは、技術や知識がどうのこうのいう以前に、それまではマシュマロみたいな人間だったのが、自分の生きる道というか、人間として生きていく根底というか、芯が一本通りました」

※辻口さん:モンサンクレールオーナーシェフ、辻口博啓氏
※神田広達氏:現在ロートンヌ(東京都東村山市)のシェフパティシエ
※パイピング:絞り袋を使ってクリーム等をデコレーションすること

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