「ら・利す帆ん時代から、色々なお店に食べ歩きに行っていたんですが、だんだん自分がお店でやっていることが、これから自分がやりたいものとは違うと思い始めて。当時サーフィンをやってて、毎週のようにお店の軽トラックを借りて、湘南の方までサーフィンしに行っていたんですが、その頃、コンクールでもいつも上位を独占していたような店で、“鴫立亭"というのが湘南の方にあったんです。そこのお店に通っているうちに、見たり食べたりしているだけじゃ気が済まなくなって、飛び込みでそこのチーフに直談判して、『働かせてもらいたい』と」
「鴫立亭というところは、前のお店とは違って、すごく上下関係が厳しいお店で、やっぱりそこでも寮生活だったんですが、寮の中でも、上下関係というのがすごく厳しくて。協同生活なんで、お風呂当番とか、晩ご飯なんかも作る当番なんかも色々あったりして、すごい厳しかったですね」
「仕事内容も厳しくて。例えば、最初接客をやるんですが、30分という時間内にお店の開店準備を、駐車場の掃除から、店内のふき掃除、カフェのセッティング、全てその決められた時間でこなさなくちゃいけない。でも実際にやると、絶対10分15分オーバーしちゃうんですよ。それで毎日怒られて。それができるようにならないと、朝の掃除番というのを卒業できないんですね。でもどうしても終わらなくて、『何で終わらないんだ』って怒られて。『どう考えても終わらないですよ』と心の中では思ってても、口答えなんかできないですよね。そうしたら、チーフが中堅の先輩に、『じゃあおまえ、見せてやれよ安食に』と。その先輩に朝代わってもらったんです、僕は横で見ていて。そうしたら、ピッタリ終わっちゃう、それも3分くらい余裕を余らせて終わっちゃったんですね。『うわっ、なんだろう?』って。そんなに僕より動きが早い訳じゃないんですよ。僕だってもう汗だくになってがむしゃらに動いているわけですよ、毎日怒られちゃうんで。でもその先輩は涼しい顔して終わらせちゃったんです。何が違うかっていったら、無駄な動きが全くないんですよ。例えば、僕はまず箒を取りに行って、掃き終わったらそれをしまって今度はモップを取りに行って、と、無駄な往復が多かったんです。その先輩はふき掃除から床の掃除、モップかけというのが全てつながりあっていて、まったく無駄な動きというのがないんです。『それでこんなに時間って変わるものなんだ』と教えられましたね」
「厨房は厨房でまた厳しくて。まず、下準備をするんですが、配合を覚えていないと、計量すらやらせてもらえないんです。洗い物か雑用です。『配合も覚えていない人間には何もさせられない』って。こっそり『トイレに行って来ます』って、トイレで必死にルセット頭に入れてね。戻って、覚えたような顔して計量して。まあ、すごい厳しかったです。職人としての考え方とかあり方とか、そういうのを徹底的にたたき込まれたお店でした」
「当時、車持ってたんですよ。兄貴が学生の時に乗ってたちっちゃい車をもらって。寮にいるのがいやだったんで、休みの前の日になると、その車に乗って、第三京浜をわーっと走って行って、行き先は、辻口さんのアパート。辻口さんが尾山台に住んでいたんで、毎週のように休みの前になると転がり込んでいましたね。僕も田舎から出てきて寮生活で、頼るところがなかったですから、その時はもう本当に、顔を見るとほっとして。本当に少しでもいいから寮から離れたい(笑)。厳しかったですね、鴫立亭は」 |