「鴫立亭に2年いて、次は横浜のロイヤルパークホテルです。ランドマークタワーができて、平成5年の7月にホテルをオープンするというので、お話をいただいて。一度僕もホテルというところでやってみたいなと思っていたり、ひとり暮らしのあこがれみたいなところもあって、平成5年のオープン時にそのホテルに行きました」
「最初にホテルに入った時は、『こんなに休みがあっていいのかな』って思いましたね。月10日くらい休みがあって、お給料も実質倍くらいになって。本当『こんなに休みも給料ももらっていいのかな』って。朝も8時から始まって、夕方5時にはもう終わってしまって、『どうしようかな』と思いましたね(笑)。お給料も結構良くなっちゃって。それが僕の最初のバブルですね」
「お金の余裕ができたら洋服屋に通い詰めて、行ってはお取り置き、行ってはお取り置き(笑)。服が好きだったんですけどそれまでなかなか買えなかったんで。でも、ちょっとはじけると、最初に通る道って革系なんですかね(笑)。不思議なもので、ちょっとおしゃれに火がついちゃったりすると、革に走るんですよね。革ジャン来たり革パンはいたりね。かなり奇抜な格好を僕もしていました」
「ホテルに移って寮もなくなったんで、辻口さんのアパートに転がり込んで居候しちゃって(笑)、半年くらいお世話になりましたね。六畳一間で、ひとつの布団で二人で寝たりして、本当に厄介になっちゃいました。まあ、辻口さんも『しょうがねえな』みたいな感じで面倒見てくれましたけど。半年くらい経ったら、辻口さんもロートンヌ(※)のシェフをやるというので出て行って、そのアパートは僕が引き継ぎました。尾山台の駅から徒歩3分くらいの一等地だったんですが、家賃が当時4万円。風呂無し、ガス引いてない、あと、電話ない。本当に寝るだけです」
「ホテル時代に、同じ厨房で働いていた後輩の子と結婚したんです。最初出会った時は、彼女は19才で僕が25才だったのかな。でも、職場に恋愛感情を持ち込んじゃダメなんですよね。僕もそういうのは一切持ち込まない。だからすごい厳しかったですよ、彼女には。他の子以上に厳しくて。だんだん周りも気付くじゃないですか、そういう人達が冷やかしを入れられないどころか、引いちゃうくらい。『何でそんな厳しくするの?』『付き合ってるんでしょ』みたいな感じで」
「ホテルというところは、人数が多くて、派閥ができちゃったり、あと、女の子がすごく多かった。厨房の中、半分くらい女の子で。僕なんか結構その頃は生意気で、血の気も多くて、『波風立ててやろう』というような感じだったんで(笑)、自分が見てて納得いかなかったり、『それは違うだろう』って思ったら、上の人に食ってかかることもあったし、下の子達にも厳しくしていたんで、すぐ嫌われちゃいましたね、女の子達に。『安食さん、嫌い』みたいな(笑)。でも、仲がいい者同士がきちんと仕事をやって、そうでない人間とはやらないとか、そういうくだらないことに神経を使うのがすごいいやだったし、仕事に対する意識というのを絶対誰にも負けないという気持ちだったんで、5時に仕事が終わるとすぐに飴細工の鍋に火を付けて練習していましたね、毎日のように。教えてくれる人もいなかったんで、独学で本を見て、飴細工を練習したり、お菓子を試作したりして毎日過ごしていました。本当に『何でそこまでやるんだ』って言われましたね。練習もがむしゃらにやったし、一週間家に帰らずにホテルに寝泊まりして、夢中になってコンクールやったりもしてましたね」
「勉強になりましたよ、ホテルでは。やっぱり宴会だとか、ウエディング、ビュッフェなんかも経験できるし、町場でできないようなこともたくさんありますしね。あとは、人数が多い職場でのあり方とか、かなり勉強になりました」
※ロートンヌ:第1回参照 |