「クレッセント(※1)に入って、まず自己管理にぶつかりましたね。クレッセントのシェフになって1年間で、過敏性結腸、体重減、そのあと不整脈出て。クレッセントという高級店に、シェフ・パティシエ(※2)として外部から入って、レストランとデパートと料理人とギャルソンと販売の店長と、いろいろ人と接しなきゃいけない。いつもプレッシャーを与えられて、精神的なストレスを抱えていました」
「クレッセント時代は、メニューをいつも考えている状態です。週替わりのメニューもあり、月替わりのメニューもあり、グランドメニュー(半年ごとに変えるメニュー)もあり。そのほかに、例えば○○円のメニューを何通とかって言われると、新しいメニューを考えなきゃいけない。メニューにずーっと追われてるんです。それで、気がつくと、電車の中でも、休日に家で子供と接していても、お菓子のメニューや会議のことを考えているんですね、いつも。それが知らないうちにストレスになってる。仕事とプライベートの境を作らないとまずいなと思って」
「本はたくさん読みました。会社や上司をいかに思いのままに動かすかとか、部下を教育するとか、自己管理についてとか、そういった種類の本を、シェフになったらいきなり読まざるを得ないような状況で。それまではお菓子の本ですよね、家に帰ればお菓子のことばかり考えてたんですけど」
「最初の頃は、クレッセントの洋館を、入る前にこう、建物を見上げて、ため息ついて入ってましたね。一緒に働いている製菓部のスタッフが楽しそうに仕事してても、自分だけは憂鬱なんですよ。人間関係も、いろいろバッティングしますし。ただ、オーボンビュータンの河田さんの紹介で入って、やめるわけにいかないですよね、酒井さんの後に行って。『がんばるしかない』『死んでもやるぞ』、そういう覚悟をして、何らかの形で成果を出そうかな、と。とにかく続けることかなと、感じながらやっていました。相当苦労はしましたが、でもそれを乗り越えるごとに自分が成長して強くなっていきました」
「クレッセントに入ったときは、お菓子が今ほど注目されていない時代なので、取材でも、料理があって、デザートは後ろの方に写ってるだけなんですよ。料理人の名前しか出ないし。でも、それから徐々に、皿盛りのデザートとかが取材されるようになってきて、レストランに勤めている以上は、『皿盛りのデザートだったら柳だな』というイメージを作っとこうと。それがまず第一でしたね。それがある程度できてきたら、今度はアントルメ。フランス人がやった真似じゃなく、とにかく人のやってない組み合わせだとか、オリジナル性があるデザインだとかいうのを常に意識して、自分のスタイルを画家と同じように築き上げたい、というのをずーっと頭の中に入れて仕事していました」
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